小1の2学期のイベント
だいたい週の半分は欠席。
行けても遅刻。そして、別室。教室はがんとして入らない。
気分のいいとき(まだましなとき?)は、なんとか母の願いを聞いて、学校に行ってくれる。ただしずっと私は横についている。
別室とは学校内にある「相談室」的なところ。ちょっと教室でいやなことがあったときなど、利用できるようになっている。ただし、スクールカウンセラーがきている日か学校相談員といわれる方がきている日に限る。
うちの場合は、私が常につきそっているので、スクールカウンセラーや相談員がいなくても、副校長先生の許可後に利用できていた。相談室がつかえないときは、応接室を借りるといういやもう重役対応w。
相談室では、もちろん息子は一言もしゃべらず、私が先生としゃべっている。
担任がくるとおびえ、お地蔵さんのような無表情になる。
相談員さんはとてもやさしく、おばあさんほどの年齢ではないが、私よりも年上。50歳くらいだろうか。やさしいので少しずつ心を開いてうなづくぐらいはするようになる。
宿題をやったり、プリントをやったり、図工の作品をやったりと、2,3時間ほどそこで過ごして帰るっていうことをつづけていた。
なかなか学校に行けない日は、相談員さんが家まで様子をうかがいにきてくれたりしていた。ほんとお疲れさまだ。。
小1ということもあり、学習は遅れるというレベルにはならない。なんせ簡単だから。。ひらがながおわってカタカナがはじまったくらいかな?
算数は足し算の繰り返し。息子は学力は高いらしく、授業を受けなくてもこれくらい簡単の様子。だからこそ、教室で授業を受けるということの意味がわからなかったのかもしれない。
小1の心の中は読むことができず、もちろん本人もわかってない。なにが嫌なのかわからないが、行きたくないのだ。母のそばがいいのだ。離れたくないのだ。
このころから、「母子分離不安なのでは」ということを誰だったか忘れたら言われ、
「母子分離不安っていう言葉があるんだ」と知った。
Googleで調べてみると、あてはまるあてはまる。
私側にも問題がありそうだし、周期サイクルがあるのもほんとそのままだったし。
母子分離不安については次の記事で書こうかな。
「不登校」が深刻化していった時期になりますね。