母子分離不安とは
いつ誰に言われたか覚えていないが、小1の7月から不登校が始まり、2学期には母子分離不安ではないかと言われ、その言葉を初めて知ったことは覚えている。
不登校が始まったからずっと、「不登校」でググっていたから、どの記事もピンとこず困っていた。
「不登校」で検索すると大体、中学生や高校生の少しお兄さんお姉さんの話が引っ掛かってくる。いやたぶん小1のうちの息子の場合とは、環境だけでなく、気持ちの在り方も何もかも違うっぽい。似た人もいるかもしれないが。
調べてみても「あぁこれだ」っていうのに出会わない。ちょっとうちのこおかしいんじゃないかとかも思い始め、ハゲるはげる。
11月には私は多発性円形脱毛で、500円玉越えのハゲが8か所ありました。
もちろんそのままでは人前をあるくこともできず、常にニット帽w
客先へいくときはズラをつけていきました。そう人生はじめてのズラ。
ウィッグというとおしゃれ度があがりますが、頭部てっぺんだったのでズラのつけごこちがすごいむずかしかったです。。
この話はまた別でw。
そこできいた「母子分離不安」。
しらべると、特に小学生低学年に多い。とかかかれている。あぁこれだ!
原因として以下が書かれていました。
1)母子が過ごす時間がこれまでと比べ少なくなったことが原因。
2)母に甘えたい時期に十分にあまえられなかったことが原因。
※詳しくは「母子分離不安」でググってくださいね。
うちの場合は、1)は違う。保育園に0歳から年長までいて、朝7時半から20時までという長時間離れていた(これもどうかとおもうが。)
ということは2)。いやこれそのまんまです。
保育園に0歳から年長まで朝7時半から20時までいれられてたら、そら甘えれてないww
保育園児の時は、それが普通・それが当たり前として生まれてきたからずっとその生活だったから息子は気づかなかっただけである。
小学校にあがり、お友達は学校が終わると家に帰って「母」が待っている子がいる。学童へいっても、17時とか18時とかに家の人が迎えにくる。
「あれ、ぼく、ぼくの家、ほかとちがう。。」
同じような家庭の子もいるだろうけど、そうじゃない家もあるってことに気づいたんだと思う。
はじめての学校生活は疲れる。何事も知らないことばかり。加えて同じ保育園育ちの子が同じクラスにいないw(これは悲運)。疲れる。疲れるとは本人は感じていないがなにかしんどいっていうか、「ママ!!!!」ってなるのは当然だったんだ。
お友達?(まだそんな慣れてないけど)は帰ったらママがいる。ママと宿題をする。おやつがある。それがない。ママに会いたい。ママのそばにいたい。会社行かないで!と、4月から憧れ(?と言われて育った)の小学生になったものの、5月の運動会に向けてなんかがんばらされて(でも結局運動会は発熱して参加してない)、おちついて、6月がんばって、でもともだちってできてない。
今日友達できた?ってきいても、ううんっていう。
クラスの子と遊んだの?ってきいても、たぶんという。遊んだような遊んでないような。絡んだような絡んでないような。
保育園での友達は、家族のようなもので、友達が新しくできるという感覚も小1にはわからず、絡んだ子はいても、名前は知らないっていう状態がつづき、不安が募り、7月に爆発したんだとおもう。
それまで、スーパーで駄々こねたり、お菓子食べたいって駄々こねたりしたことが一切なく、なんて育てやすいんだと思っていた。反抗したことがなかった。
この7月の爆発が、彼の初めての主張だった。「学校行きたくない」。
だからこそ、「行きなさい!」と強要することができず、「なにかあったのか」ととらえたというところもある。
また、母子分離不安の対処法として
1)十分に甘えさせる
2)スキンシップをとる
3)十分かまってあげる
4)しかったりしない
5)大好きと伝える
6)話をよくきく
とあった。
どれもやってるつもりだった。正直私は息子が大好きだ。なにかあればぎゅうして抱きしめている。お姉ちゃんが嫉妬する毎日だ。
だからこそ、一緒にいる時間が足りないんだと感じた。
退職もありだなと常に考えていた。