道徳の授業の意味

私自体は、道徳の授業の必要性が全くわからなかった。

お話を聞いて、みんなで意見を述べて、最後に思ったことを感想文に書く。

 

お話を聞いて、みんなの意見を聞く。当たり前の意見ばかりだった。

感想文も、だいたいが印象に残ったことを書く。

お話の山場に触れる子、まとめに触れる子だいたいその2つに分かれている気がする。

 

小3の息子の道徳の授業を何度か付き添って受けているのだが、

息子を通して道徳の授業の必要性がしみじみとわかった。

 

息子はみんなが思うようなことを思わない。お友達の意見や気持ちを聞いて、へぇ。そうだったんだ。。と思うらしい。ザ・空気読めない奴なのだ。

日常の出来事に対して、友達が感じることを耳で聞くのは彼にとって目からうろこな話も多い。私からすると当たり前じゃんって気持ちも、彼の中では湧きにくい。わかないときもある。そうやって普通?の人の感性を知る機会になっている。

 

印象にのこったところは人それぞれだけど、それがあまりにもはずれているときっと集団生活で苦労する。当然今もしてるけど。

 

人と違う感性が光る場面も多いけれども、その裏には人と分かち合えない苦悩にもきっと出会うだろう。

 

道徳はなるべく受けようね。