少し愚痴を
二つ前くらいの記事で、うちの会社の社長が登校渋りの息子の相談に乗り出してくれたと書きました。
お声がけいただいたので改めて経緯と近況をメールで伝えました。上司や部長も含め。
で、昨日再びこの件について少し会話しました。
いろいろとおもう口へ相談の声がけをしてくださっていたり、社長自身もいろいろと調べてくれていたりと本当に親身になっていただいています。
裏には営利ななにかももちろんあると思うのですが、それでWinWinになるなら問題ないかなと。
だが少し、会話の端くれに私の心に刺さる言葉がいくつかありました。痛いほうです。
良かれと思って言ってくれていたり批判するつもりは毛頭ないのでしょうが、面と向かって言われると親として、特に母親としては痛い言葉があります。
「初動で抑えることはできなかったのか。」
抑えれてないから今があるわけだし、確かにそういわれるとそうなんだけど、わかってるんだけど、この言葉は痛いです。問題解決プロセスを考えるうえで、初動・きっかけとなる原因究明は振り返りの意味からしてもとても重要なことです。わかってます。わかります。プロセス改善などでは必ず振りかえる問題です。わかります。
ですが、これ、たぶん世の母親にいっちゃだめな言葉ですよね。
あのとき、ほったらかしていたわけじゃない。まさかここまで深刻化するとは確かに思ってなかった。すぐ学校に行くように戻るだろうと思ってた。それは確かに私の落ち度だ。こどものことに関する責任は、どう考えても親にある。私にある。
こどもはこどもだもの。自分で判断できないし自分で自分がわからない。
まわりの大人が、特に一番身近にいる大人が(わたしが)、一番なんとかしてやれる立場であるし解って上げれる立場であるし、やらなければいけない立場である。わかってる。
仕事を辞めたくないというわがままからたしかに宙ぶらりんな対応であることもわかってる。私に仕事を辞める勇気がないだけだ。生活は後からなんとでもなる。なるはず。それが怖くて踏み出せてない。
今、問題が解決していない以上、私は仕事を続けてる場合じゃないだろと言われたら何も言い返せない。
一応片手間に副業をしつつ、どうにか軌道に乗ればななんて安直に考えていたがそんなものうまくいくわけもない。やっとお小遣い程度稼げるようになったくらいだ。
正社員で働いているほうが断然稼げる。
あまり考えないようにしていたが、第3者の手をかりるということはこういう思いが続くのか。社長はカウンセラーではないからね。これほどまで言葉に弱くなってると思い知らされた。正直息子の将来が心配すぎて思い出しては昨夜から泣いている。
メンタルがやられていることに気づかないふりをしていたのに、そうしてられない。
ちょっと無理だ。社長になんていおう。会話できない。つらい。
カウンセラーだけがいい。ほんとカウンセラーは神だったんだなと。
息子のことになると弱い。弱すぎる。またはげる。