会社との付き合い方(フルタイムだったので)

私はシステムエンジニアだ。

フルタイムの会社員。朝10時出社ー19時退社。

でもこの職種の人ならわかるとおもうが、仕事が多い。終わりがない。

早く終われば次の仕事がある。なかなか根つめてしまうと終わらない。

 

これでは母子分離不安が治るわけもなく、不登校は悪化する。

 

2学期はじまってから上司と相談し、子連れ出勤の特例をだしてもらった。

ほんと恵まれている。私の仕事環境。今の日本でこんなことまぁない。難しい。

 

学校に行きたくない日は、学校にいくことを諦めて、仕事につれていっていた。

それならいいらしい。母と一緒だといいらしい。

毎日のようにデスクの横に椅子を用意し、総務のお姉さんには自ら「来ました」と伝え、デスクの横でワークをする。ワークが終われば3DSをする。

騒がない。しゃべらない。たまに鼻歌がでるが。

まったくもって迷惑のメの字もかけないおりこうさんだったので、「きちゃだめ」ともいわれず、「つれてくるな」とも言われなかった。

 

でもやっぱり陰で、「ずるい」という声はあがっていた。

そういう声は全部上司がすいとってくれていた。

私の普段からのストレスが大きいことを感じていたので、そういう細かいストレスはすべて吸収してくれていた。ほんと恵まれている。

 

おかげで休んだり遅刻したりしたが、裁量労働制だったこともあり、8時間勤務弱で帰ってもよかったのもある。

 

部長には今の生活は年末まで許可するがそれ以降はどうするか考えてくれとは言われていた。「わかりません」としか思えなかったが「なんとかします」とも答えた。

 

いい環境であったが、どうするかの責任は考えなくてはならない。

ない頭でもし不登校が年末までになおらなかった場合を考えておかないいけない。リスク管理だ。部長や社長は多めに見てくれている。だがしかし、部長や社長にも責任がある。他の社員への影響も十二分に考えないといけない立場である。

それでも優しい言葉をかけてくれるのがほんとうにこの会社が素晴らしいとおもったところである。

 

一切の文句を言わず(特に総務にw)、ゆわれるがままに仕事し、させてもらっていた。ありがたい。

 

まぁこのときには会社でもニット帽を常にかぶっていた。

知らない総務の女子が「社内では帽子ぬいでください」っていってきたこともあるが、

ちょっと上司とおしてもらえますか?っていった。

 

はげだしたころはとてもみられるのがいやだったが、はげがなれると、聞かれると見せるようにまではなっていたので私もかなりなおっさんである。

でもやっぱり見た目に痛々しいのでかぶってましたw

 

母子分離不安とは

いつ誰に言われたか覚えていないが、小1の7月から不登校が始まり、2学期には母子分離不安ではないかと言われ、その言葉を初めて知ったことは覚えている。

 

不登校が始まったからずっと、「不登校」でググっていたから、どの記事もピンとこず困っていた。

不登校」で検索すると大体、中学生や高校生の少しお兄さんお姉さんの話が引っ掛かってくる。いやたぶん小1のうちの息子の場合とは、環境だけでなく、気持ちの在り方も何もかも違うっぽい。似た人もいるかもしれないが。

調べてみても「あぁこれだ」っていうのに出会わない。ちょっとうちのこおかしいんじゃないかとかも思い始め、ハゲるはげる。

 

11月には私は多発性円形脱毛で、500円玉越えのハゲが8か所ありました。

もちろんそのままでは人前をあるくこともできず、常にニット帽w

客先へいくときはズラをつけていきました。そう人生はじめてのズラ。

ウィッグというとおしゃれ度があがりますが、頭部てっぺんだったのでズラのつけごこちがすごいむずかしかったです。。

この話はまた別でw。

 

そこできいた「母子分離不安」。

しらべると、特に小学生低学年に多い。とかかかれている。あぁこれだ!

 

原因として以下が書かれていました。

1)母子が過ごす時間がこれまでと比べ少なくなったことが原因。

2)母に甘えたい時期に十分にあまえられなかったことが原因。

※詳しくは「母子分離不安」でググってくださいね。

 

うちの場合は、1)は違う。保育園に0歳から年長までいて、朝7時半から20時までという長時間離れていた(これもどうかとおもうが。)

ということは2)。いやこれそのまんまです。

保育園に0歳から年長まで朝7時半から20時までいれられてたら、そら甘えれてないww

保育園児の時は、それが普通・それが当たり前として生まれてきたからずっとその生活だったから息子は気づかなかっただけである。

小学校にあがり、お友達は学校が終わると家に帰って「母」が待っている子がいる。学童へいっても、17時とか18時とかに家の人が迎えにくる。

 

「あれ、ぼく、ぼくの家、ほかとちがう。。」

 

同じような家庭の子もいるだろうけど、そうじゃない家もあるってことに気づいたんだと思う。

はじめての学校生活は疲れる。何事も知らないことばかり。加えて同じ保育園育ちの子が同じクラスにいないw(これは悲運)。疲れる。疲れるとは本人は感じていないがなにかしんどいっていうか、「ママ!!!!」ってなるのは当然だったんだ。

 

お友達?(まだそんな慣れてないけど)は帰ったらママがいる。ママと宿題をする。おやつがある。それがない。ママに会いたい。ママのそばにいたい。会社行かないで!と、4月から憧れ(?と言われて育った)の小学生になったものの、5月の運動会に向けてなんかがんばらされて(でも結局運動会は発熱して参加してない)、おちついて、6月がんばって、でもともだちってできてない。

今日友達できた?ってきいても、ううんっていう。

クラスの子と遊んだの?ってきいても、たぶんという。遊んだような遊んでないような。絡んだような絡んでないような。

保育園での友達は、家族のようなもので、友達が新しくできるという感覚も小1にはわからず、絡んだ子はいても、名前は知らないっていう状態がつづき、不安が募り、7月に爆発したんだとおもう。

 

それまで、スーパーで駄々こねたり、お菓子食べたいって駄々こねたりしたことが一切なく、なんて育てやすいんだと思っていた。反抗したことがなかった。

この7月の爆発が、彼の初めての主張だった。「学校行きたくない」。

 

だからこそ、「行きなさい!」と強要することができず、「なにかあったのか」ととらえたというところもある。

 

また、母子分離不安の対処法として

1)十分に甘えさせる

2)スキンシップをとる

3)十分かまってあげる

4)しかったりしない

5)大好きと伝える

6)話をよくきく

とあった。

 

どれもやってるつもりだった。正直私は息子が大好きだ。なにかあればぎゅうして抱きしめている。お姉ちゃんが嫉妬する毎日だ。

だからこそ、一緒にいる時間が足りないんだと感じた。

 

退職もありだなと常に考えていた。

 

小1の2学期のイベント

だいたい週の半分は欠席。

行けても遅刻。そして、別室。教室はがんとして入らない。

 

気分のいいとき(まだましなとき?)は、なんとか母の願いを聞いて、学校に行ってくれる。ただしずっと私は横についている。

 

別室とは学校内にある「相談室」的なところ。ちょっと教室でいやなことがあったときなど、利用できるようになっている。ただし、スクールカウンセラーがきている日か学校相談員といわれる方がきている日に限る。

 

うちの場合は、私が常につきそっているので、スクールカウンセラーや相談員がいなくても、副校長先生の許可後に利用できていた。相談室がつかえないときは、応接室を借りるといういやもう重役対応w。

 

相談室では、もちろん息子は一言もしゃべらず、私が先生としゃべっている。

担任がくるとおびえ、お地蔵さんのような無表情になる。

相談員さんはとてもやさしく、おばあさんほどの年齢ではないが、私よりも年上。50歳くらいだろうか。やさしいので少しずつ心を開いてうなづくぐらいはするようになる。

 

宿題をやったり、プリントをやったり、図工の作品をやったりと、2,3時間ほどそこで過ごして帰るっていうことをつづけていた。

 

なかなか学校に行けない日は、相談員さんが家まで様子をうかがいにきてくれたりしていた。ほんとお疲れさまだ。。

 

小1ということもあり、学習は遅れるというレベルにはならない。なんせ簡単だから。。ひらがながおわってカタカナがはじまったくらいかな?

算数は足し算の繰り返し。息子は学力は高いらしく、授業を受けなくてもこれくらい簡単の様子。だからこそ、教室で授業を受けるということの意味がわからなかったのかもしれない。

 

小1の心の中は読むことができず、もちろん本人もわかってない。なにが嫌なのかわからないが、行きたくないのだ。母のそばがいいのだ。離れたくないのだ。

このころから、「母子分離不安なのでは」ということを誰だったか忘れたら言われ、

「母子分離不安っていう言葉があるんだ」と知った。

Googleで調べてみると、あてはまるあてはまる。

私側にも問題がありそうだし、周期サイクルがあるのもほんとそのままだったし。

母子分離不安については次の記事で書こうかな。

 

不登校」が深刻化していった時期になりますね。

小1の2学期が始まった

小1の2学期がはじまりました。

 

2学期からはけろっと行くかなっていう淡い期待は崩れ、やはり「行かない!行きたくない!」の一点張り。

 

家をでる8時が近づくと、部屋に閉じこもり、布団をかぶり、返事をしない。

しゃべらない。

 

トイレに閉じこもったり、母のスマホを隠したりと、あの手この手で抵抗する。

 

私は怒るほうではないので、何かしら誘い文句をつけるが反応しない。

「お菓子かってあげるから」ではなびかないのだ。

「お菓子なんていらない、学校行く方がいや」という。

「学校までついてくから。」といっても、「すぐかえるでしょ」っていわれる。

そうなんだけど。仕事あるし。でもだんだんと”仕事あるし”と言ってられないくらい行かなくて、こりゃ学校行かせない虐待と思われるんじゃないかとかも思ってきたり。

 

毎朝、このやりとりで格闘し、8時過ぎには学校に電話連絡いれないといけないのだけれど、もちろん登校班の当番の方にもいけない旨を連絡しなければならないのだけれど、その電話することで「行かなくていい」「今すぐ行かなくていい」という悪知恵が働いていかないのでなかなか電話もできなかったり。

 

そうこうしてると学校から電話がかかってきて「こまってるんです。。」という。

当番の方からは、「こないのなら連絡してください」と言われる。

いや、いかないんじゃなくて、行かせたいんだけど、行ってくれなくて、もしかしたらまにあうかもって。。。って思うんですが、すみませんと謝る。

 

このころにはほんとうに頭皮がヒリヒリしてきて、わぁなんか薄毛になってきたなぁってわぁ。。。って感じだったのですが、これはもう円形脱毛が始まっていたのです笑。

小1の夏

小1の7月中旬から学校に行かなくなった。

 

朝、泣く。

行きたくないと。

 

強めにゆっても下手にでても、うんともすんとも動かない。文字通りダンゴムシがまるまったように殻に閉じこもり、背中を丸くして抱え込む。

 

会社、、、遅刻するんですけど、、。

 

小1を登校させず一人留守番させるわけにもいかず、会社を休んだり、無理をいって子連れで出社させてもらったりしていました。この時点で恵まれている環境。

 

夏休みとにかくべったりし、赤ちゃんにもどったような息子。

学力もあり言語力もあるので、なにかあるわけでもなく、なにかこじらせたのかなと思いながら、2学期は普通に登校してくれるといいなと、思っていました。

 

このとき、どうしてだろう、なにが原因なんだろう、どうすればいい?、私になにができる?何をすればいい?など、怒りや悲しみではなく、とにかく「悩む」「困る」ということで頭がいっぱいだったのは今でも覚えています。

 

夏休みはほぼほぼ会社についてきたりして、母から離れることはありませんでした。

小1不登校

小1の7月。

仕事中の私のスマホに小1の息子から泣きながら電話がかかってきた。

 

「学童行きたくない」

 

最初の”行きたくない”は、学童に対してだった。

きっと友達と何かあったのかなと安易に考えていたのだが、翌日からそれが”学校行きたくない”になり、小1の7月、夏休みを目前にし、不登校児生活に突入した。

 

今思い返せば2年前の出来事。まさかここまで長引くとは思っておらず、ただただ「どうしてだろう。。」と頭を悩ますばかり。

 

小3の今、付き添いは続いているが、ほぼほぼ毎日学校に通うようになっている。もし、同じような状況に陥った方の情報の一つになればと思い、ブログで書き記すことにしました。