作文が苦手 感想文が苦手

作文や感想文が苦手。

作文や感想文は得意不得意が顕著に表れるところだと思う。

私だってこどものころは文章を書くことが苦手だった。本を読むことも苦手だった。父親が推理小説を寝る前に読むことを日課にしているような環境で育ったのに、私は文字を読むのが好きではなかった。

 

自分の思いを文章にするという行動は、苦手な子に書かせようと思うと、どこからどう教えていけばいいのかとても難しく感じている。

 

本を読んで、感想文を書きましょうというお題に対し、かける子は鉛筆が走り出す。

 

書けない子は1時間ずっと1文字もかけない。

 

高学年や中学生なると、やらされすぎてなんとなく原稿用紙や感想文シートを埋める作業になれてきてとりあえずまぁ書けるという状態になっていく気がする。

 

これが、レポート・小論文となって構成や書き方の工夫を知ることになる場合も多いと思う(主観)。

 

小5の息子はいまだに書けない。1行書くくらいらしい。

「このお話を聞いてどう思ったか感想を書きましょう」というふんわりしたお題には本当に辛そうである。ふんわりに答えることができるのは、いわゆる文系なんだとおもう。理系脳な彼らにはずいぶんむずかしい作業である。

 

今の小学校の授業では、レポートの作り方など結構丁寧な授業がある。感想文も昔のように「書きなさい」ではなく、例文などものってあったりと昔よりは丁寧に解説されている。が、本当に苦手な子たちからすると、この分野は1対1で考え方を紐解いていく必要があるんじゃないかと思う。

 

まず、「どういう話であったか」を文章で説明できること。(起承転結を読み取れている)。

その次に、「まとめになる部分に着目して感想を寄せる」ことができること。

これができる場合はスムーズに書ける。ただ、「まとめ」に共感できなかったり意味が理解できなかったりすると、この部分はもう書けない。なので、息子には「話の中で一番ママに話たいところは?」ときいてみると一つくらいはでてくる。そこの説明と思った気持ちをかけばいいと伝えている。

 

あとは、感想文への不安を消すために、「いつも同じ自分の言葉をつける」という裏技的なことも伝えている。先生にいつも同じことを書いていると思われてもいいじゃないか。結局こういうことをいつも考えているということを書いて、字が埋めれるならいいじゃないと言っている。字が埋めれる分、少しは不安が引くだろう。ちなみに息子の言いたいことは、「だがしかし、〇〇する時間があれば他のことをしたほうが時間の無駄にならない」らしい。感想文すら、感想文を書く時間で他のことを勉強したほうが時間の無駄にならない、とか言い出している笑。

 

今日あったこと。今日みたドラマの説明なんかも、私もあんまりうまく説明できない。おしゃべり上手になりたいなと大人でも思うんだから、苦手だっていいじゃないの。